浦和すずのきクリニック、臨床心理士の鈴木です。
不安なことの練習をやってもらってばかりの私にも苦手なものがあります。
以前も書いたことがあるのですが、それはナスです。
あのつや、色、形。
どれをとっても苦手。
特に何かトラウマがあるとかそういうわけじゃないですよ。
こういうことを同業者にいうとすぐに「両親の関係が・・・」って結びつける人がいました。
ナスが苦手なのは両親とのトラウマが無意識に関係しいていると。
・・・どう考えてもそんなことないでしょう。
話を戻し、ナスを克服しないと困ることはあります。
外食の時、コースで出てくると避けられないことも。
それが誰かのおごりだったら残すこともやや気がひけるとか。
些細なことですがナスにより気分が悪く、支障がでることがあろうが、その苦痛は仕方がない、ずっとこのまま、今もしかしたら食べたらおいしいと思うかもしれない可能性を否定して、一生避けようと思うわけです。
克服しようとしなければずっと苦手意識が続く苦痛、克服しようとしても苦手なものと直面しなければいけない苦痛があります。
つまり、どっちの選択をしても苦痛なんです。
ここでは自分の価値感が問われるところです。
私はナスを克服することによって得られることに価値をおいていません。
ですから苦手なナスを回避することを選んだのです。
もし私が「食べ物の好き嫌いはない人間でありたい」と思っていたら、直面していたかもしれません。
これは不安なことを克服しようかどうか迷っている時に考えることと似ているかもしれません。
不安についてどっちの選択をしても苦痛はあるから、苦痛かどうかを選択の基準にしないことです。
選択によって得られる(かもしれない)ものが、自分がこうありたいという価値観に一致する方を選ぶべきでしょう。
不安にとらわれ悩み続ける人の行動は自分の価値観と逆の選択をしている可能性があります。
価値観に一致しない方を選ぶと、それは人生においてずっと苦痛を与え続けます。
不潔強迫であればずっと手洗いをし続けることがあなたが望んでいることですか?
パニックで電車に乗れない人であれば電車に乗れないでいることがあなたが望んでいることですか?
人前で話すことが苦手な人であれば人を避け続けていることがあなたが望んでいることですか?
望んでいるのであれば、それほど不安に囚われた人生になっていないはず。
苦痛かどうかよりも、どういう人生を歩みたいかを選択の基準にしていくと苦痛はあるけれど充実した生活になっていくかもしれません。
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