ひきこもり

ひきこもりとは、厚生労働省の定義によれば、「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」のことを指します。現在日本においてこの定義に当てはまる人は、推定で、60万とも100万ともいわれています。
このひきこもりは、日本に特有の問題であるようです。臨床の現場にいると、もちろんひきこもりについて考えさせられることは多くあります。そんななかで先日、マイケル・ジーレンガーという、ジャーナリストが書いた本を読みました。
彼は、日本の社会でひきこもる人を、とてもクリエイティブな人だとみなしています。他人と違った価値観を持ち、独自の道を歩もうとする、というのです。ただ、日本の社会はこうした人たちを協調性のない者とみなし、排除しようとする。それゆえ彼らはひきこもらざるを得ないのだ、というわけです。
実際、臨床現場を訪れるひきこもりのかたや、その親御さんと話していると、ジーレンガーの説にはうなずけるところが多々あります。ひきこもる人々は、社会の矛盾を鋭く突くような感受性に優れているようなのです。彼らはときに、海外に行きたいと希望を語り、そしてそれを実行に移すこともあります。そして実際日本を出ると、劇的に回復し、ひきこもりから脱したりするのです。
このようなことを目にすると、ひきこもりという現象は、なにかを我々に訴えかけようとしているのではないか、と思えてきます。しばしば引用されるユングの言葉に、次のようなものがあります。
「神経症が自我の誤った態度を片づけた時にのみ、神経症は真に除去される。我々が神経症を癒すのではない。神経症が我々を癒すのだ」
我々がひきこもりを解決するのではなく、我々がひきこもりによって我々の態度を変えるとき、はじめてひきこもりは解消されるのかもしれません。